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限界集落

 締切に追われている仕事をするために、今日は一日中自宅にこもって原稿書き(のはず)。一歩も外へ出ぬままに玄関のチャイム、仕事を終えて夜の劇の練習のためにツレアイがいったん帰宅したのでした。すでに外は暗くなり、買い物に出るのも面倒なので、冷蔵庫のあり合わせで夕飯を作ることにします。デスクワークで固まった腰を伸ばすついでに郵便受けへ、今日の夕刊にはいくつか興味深い記事がありました。京都新聞夕刊第2面の「現代のことば」というコラム、黒川美富子さんの「限界集落限界集落 」という記事です。地域社会学・環境社会学の周辺で仕事をしている私にとっては、見過ごすことの出来ない記事であり概念です。

 「限界集落」というのは高知大学におられた大野晃さんの提唱された概念ですが、このところすっかりメディアにも定着してきました。正確な時期がすぐには思い出せないのですが、だいぶ前に村落社会研究会(現・日本村落研究学会)の大会が高知県で開催され、大野さんにお世話になったことがありました。当時は私も「真面目に」学会には参加していましたから、私の車に友人たちが同乗して高知県十和村まで出かけたのでした。すっかり暗くなってから宿舎に着くと、すでに夕飯がほとんど無くなっていたという悲しい思い出があります。 :cry:
 仲間と続けている合同社会調査のフィールドである熊野においても、過疎が進行していることはいうまでもありません。来月に予定されている日本山村会議に仲間で参加することが決まっていますが、問題の深刻さを受け止めながらも、少しでも目線が上向きになるような報告になればと考えています。

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コメント

  1. satoshi-k より:

    限界集落は、熊野でも深刻な問題となっています。特に山間部の孤立集落?もう集落を維持することが不可能になっています。「家の水(山からひいた自前の水道)の世話ができんようになったら子供の世話になる」が合言葉の集落や、「死んだら何日後に見つけてくれるかの」というブラックジョークが冗談ではなくなっている集落が普通に見られるようになっています。でも、どうしようもないんですよね。

  2. myon より:

     研究者が提唱した概念が、いつのまにか専門用語から一般に使用されるほどポピュラーになることが時々あります。「限界集落」もそのような言葉の一つなのでしょうね。ところが、その言葉に込められていた意味のある特定の部分だけが強調され、結果的に政治の世界の予算獲得の手段に利用されてしまうことがあります。「過疎」もそうですが、人口というわかりやすい指標がかえって地域の現実を見えにくくしている面は否定できません。だからこそ、satoshi-kさんにサポートしていただいている社会調査実習のような作業の継続が必要だと思っています。

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