第300回市民寄席に行ってきました

今日のお楽しみ

 先日京都文化芸術会館の40周年記念落語会に行きましたが、昨晩は京都会館の50周年記念落語会=数えて300回目の市民寄席。第1回が1957年といいますから、半世紀以上も続いているのですね。私のブログでも、3年前に市民寄席50年という記事を書いています。その記事の中には何回目の会であるのか不明の記事への言及もあったのですが、昨晩のパンフレットの年表で不明の部分を訂正できたのはラッキー。今年は有り難いことに友人のおかげで年間席札がありますから、チケット手配の面倒がありません。午後から休暇を取って着物に着替えたツレアイと、西大路七条から202系統のバスに乗車。開場15分前には会場着、少し余裕があったので疎水沿いをぶらぶらと。水に映る緑の濃淡、サツキの紅白、まさに風薫る五月なのであります。

 昨晩の番組は、次の通り。

普請ほめ(桂三四郎
登場してすぐに気になったのが髪型、前髪が右目の上にかぶっているのです。落語というのは目線で人物を描き分けることが基本ですから、その大事な目に髪が被っているというのは、いったいこの人は落語という芸をどのようにとらえているのか?と、最初から噺を聞く気持ちが失せてしまいました。「牛ほめ」の前半部分で下げる噺ですが、覚えたことを語るのが精一杯で、口調が早く聞き取りにくい。しかも、途中で右手で髪をかき上げる仕草も入って私のいらだちは頂点に。師匠の顔が見たい(三枝さんですが)、16分。
豊竹屋(笑福亭生喬
笑福亭松喬さんの三番目のお弟子さん、なんと三重県松阪市のご出身。愛嬌のある顔、恰幅のいい身体、生え際の後退した頭も含めて、高座に出ただけで客は微笑んでしまいますね。義太夫節と口三味線の掛け合いの噺、義太夫が庶民一般に知れ渡っていた時代であれば、太夫さんの真似など入れたりして大うけしたことでしょう。持ち時間内にコンパクトにまとめて、プロの仕事をしてくれました、15分。
片棒(桂雀松
「落語も出来る気象予報士」とはご本人の弁、この人も登場するだけで客が笑う準備をしています。マクラで米朝師と松之助師がともに大正14年生まれと紹介、そんな彼も50代半ば、もっとも私より若いのですが。噺はけちんぼの親父が三人の息子に自分の葬式をどのように行うかと問いかけ、その答えで跡取りを決めようとするもの。雀松さん、なかなかの好演でしたが最後に三男の息子の名前(幸太郎、作次郎、徳三郎)を言い間違え、そのせいか直後にかんでしまったのはご本人も悔しかったことでしょう、23分。
野崎詣り(桂春団治
昭和5(1930)年3月生まれですから、三代目も満80歳。さすがに声は出なくなっていますが、相変わらずのきれいな高座姿です。冒頭に50周年・300回の挨拶を入れ、ネタもきちんと季節を合わせくれています。私自身若い頃は、この人はネタが少ない=稽古に不熱心などときめつけて、決して好きではありませんでした。しかし、当夜のネタはかつて何度も角座で聞いた噺、それを(表面的には)少しも変わることなくやりきれるのはやはり芸。米朝師が実質的に噺ができなくなっていますから、四天王の最後として一日も長く続けてほしいですね、25分。
仲入り
手品指南(桂朝太郎
米朝一門では、ざこばさんの次となるベテラン。しかし、私はこの人の落語は聞いたことはありません。手品をやるようでやらないことがネタなのですが、初めての方にとっては戸惑うのでしょうね、どう聴けばよいのか、どう笑えばいいのかと。それはそれとしても、ひょうひょうとした高座ぶりは、私は結構好きです、15分。
ゴルフ夜明け前(桂三枝
入門直後からマスコミの売れっ子となり、それ以来ずっと第一線で活躍しているというのは、やはりたいしたものだと思います。ただし、この方と米團治さんの落語は、私には噺として聴くことはできません。お二方ともタキシードを着てスタンドマイクの前で漫談をやれば超一流、なぜ着物を着て落語をやろうとするのか、私には解せません。こんな形で西郷隆盛や坂本龍馬を語ってもらっては、怒りと言うよりも哀しくなってしまいます、39分。

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.