西大路七福社ご利益めぐり

卯歳守護

 私にとっては初出勤を明日に控えた成人の日、雪のちらつく寒い一日ではありましたが、DigiStyleKyotoさんで紹介されていた西大路七福社ご利益めぐりに行ってきました。京都観光Naviによれば、『「西大路七社めぐり」・・・昭和58年に「5社巡り」としてスタートしたが翌年から7社となった』とのこと。朱印台紙色紙の袋に印刷された「年も新たに幸せを願って 本年も 益々豊かな生活を招く西大路沿線に祀られたあらたかな神々のご利益をお授かり下さい」と言われるままに、正月最後のイベントに出かけたのでした。参拝順序は自由とのことですが、七条御前通りに位置する我が家からすれば、やはり最南端の吉祥院天満宮から始める方が回りやすい。最初にご利益めぐり専用の朱印台紙色紙(400円)を購入し、そこへ各社300円で朱印をいただく、すべてお詣りすればその年の干支の置物がいただけるとのこと。体調よければすべてウォーキングとすることも可能でしょうが、そこは腰痛を抱えた身、京都市営バス一日乗車券を駆使して楽しんで参りました。今回はお詣りのみのため所要時間は3時間半、来年は町歩きも含めてもう少しゆっくりと時間をかけて楽しもうと思ったことでした。

 西大路七福社、参拝順序ごとに紹介すれば次の通り。

吉祥院天満宮
三人の息子たちが小さい頃お世話になっていた保育所が、ここからもう少し南にありました。私にとってはなじみ深い場所ではありますが参拝するのは(恐らく)二度目、西大路十条という所在地はいささか交通の便がよくないので境内は至って静か。ご由緒等については、今回は京都市が提供する京都観光Naviの記述を引用させていただきます(以下同じ)。

朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれている。本殿、舞楽殿のほか吉祥天女堂がある。春季大祭の4月25日・夏季大祭の8月25日には六斎念仏が奉納される。
建立:934(承平4)年

若一神社
西大路八条の交通量の多い場所、平清盛お手植えといわれる楠の大木が目をひきますが、こちらも参拝は二度目。すぐ近くでツレアイの職場の新ビル建築中であることなどはどうでもいい話。

平安末期平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められる。社前の清盛手植の大楠がシンボル。11月10日例祭、火焚神事がある。
建立:1165(仁安1)年8月

西院春日神社
通勤時に利用する阪急西院駅のすぐ近く、にもかかわらず、初めてお詣りさせていただきました。西院駅周辺は最近の開発とレトロな町並みがせめぎ合う空間ですが、そんな喧噪とは無縁の静謐な空間の存在が有り難い。

平安初期、淳和天皇が淳和院に奈良春日の神を勧請、祭祀されたのが起こり。神前の霊石で皇女の疱瘡が治り、病気平癒の神として崇められたという。江戸期にも歴代天皇が健康祈願をされた。また境内の摂社、還来(もどろき)神社は旅行安全の神として有名。10月第2土、日曜に「春日祭」。無病息災、五穀豊穣を感謝する祭で、前日は重さ2トンのみこし2基が出御。翌日はみこしを中心に剣鉾5基とともに総勢1000名が区内を巡行。
創建:833(天長10)年2月28日 平安時代

大将軍八神社
西大路一条の交差点には「妖怪ストリート」の看板、妖怪をキーワードとした商店街の地域おこしの取り組みはテレビなどではよく紹介されています。実際に訪れるのは初めてですが、商店街も神社自身も雰囲気むんむんで大変興味深いスポット。ここは近いうちにぜひとも再訪して、ゆっくりと散策したい所ですね。

桓武天皇が794年(延暦13)王城鎮護のために勧請したといわれる社。社殿は昭和初年権現八棟造で再建。方徳殿に大将軍神像80体(重文)と陰陽道安倍家の古天文暦道資料(府文)がある。方除け厄除けの神。神像の拝観は5月1日~5日、11月1日~5日。その他の日は予約必要。
建立:794年(延暦13)年

熊野神社衣笠分社
京都市内の熊野関連情報については、今後も引き続き充実させたい所。しかし、こちらの分社については全く存じ上げませんでした。閑静な住宅街の中にあるのですが、初めて訪れた私は、ちょっとひいてしまいましたね。京都観光Naviには該当項目がないので、熊野神社の概要を引用しておきます。

811年(弘仁2)修験道の日円上人がこの地に熊野権現を勧請したのが始まり。新熊野、若王子社とともに京都三熊野のひとつ。聖護院の守護神でもある。応仁の乱で焼失したが再建し、江戸期に整備された。ご利益は縁結び・安産・病気平癒・鎮火。11月20日火焚祭。4月29日神幸祭。5月16日例祭。
御鎮座:811(弘仁2)年

平野神社
これまで西大路通り沿いから眺めていたばかりで、東側に立派な鳥居があることを初めて知りました。さすがに風格ある境内・社殿ではありますが、唯一受印時の対応でがっかりしました。若い男性でしたが、ひょっとしてアルバイトか、それにしても残念でしたね。

794年(延暦13)桓武天皇の命で大和国から遷座したのが起こり。朝廷も崇敬され、たびたび行幸。のち源氏、平家の氏神となる。現在の社殿は寛永年間(1624-44)の造営で平野造とよばれ本殿は重文。伊勢神宮、松尾大社などとならぶ格式ある名社。境内は桜の名所で4月10日桜花祭がある。
桜花期には桜コンサート、桜湯の接待有(有料)がある。

わら天神宮
平野神社から北西に少し歩き、金閣寺の入り口にある神社。初めてお詣りしましたが、ここも少し入るだけで大通りの喧噪から離れて大変静か。にもかかわらず、京都市が管理する京都観光Naviには「わら天神宮」が単独の項目としては含まれていません。何か理由があるのでしょうか、かなり気になる・・・。

 

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.