壺阪寺へお詣りしました

[flickr id=”6739775075″ thumbnail=”thumbnail” overlay=”true” size=”medium” group=”” align=”left”] 20日(金)にこのブログで利用しているサーバーにトラブルが発生し、アクセスできない状態となりました。その日のうちにサーバーは復旧したのですが、このサーバーで私が運用している4つのサイトのうち3つまでがトラブルのために接続できませんでした。21日(土)22日(日)と初春熊野詣で不在、帰宅後に管理会社へ連絡したところ、つい先ほど復旧しました。ということで、いささかタイミングを逸したレポートとなってしまいました。

 21日(土)には浜峰さんと久しぶりに新宮で会食、大いに盛り上がって午前様で熊野市内のホテルに戻り、22日(日)は吉野路をドライブ。道の駅大淀で野菜をたっぷり仕入れた後、15日(日)に文楽劇場で観た壺坂霊験記の舞台、壺阪寺へお詣りしてきました。年末から目のトラブル、いわゆるものもらいではあったのですが、左右交互に発症してなかなか治らない。それならと、沢市さんにあやかりたく、当寺にお詣りしようとなったのです。眼病封じ祈願は1人500円、お札に名前を書いて奉納し、帰路には朱印をいただきます。我が家には神棚も仏壇もないので「なるべく高いところ」とのご指示をいただき、リビング隅のモモの遺影(以前同居していた猫)の隣に祀らせていただきました。
 写真はお寺でいただいた「沢市うどん定食」、別に何の変哲もない定食ですが、壺坂霊験記に登場する沢市の物語り、念のためお寺のサイトから引用させていただきます。

今より三百年以上昔、座頭の沢市は三つ違いの女房お里と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。
そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。
「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この三年もの間欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。
疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。
不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。
しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。

投稿者: myon

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