「無常を生きる〜3.11からの文明論」を聴いてきました

[flickr id=”6965640382″ thumbnail=”thumbnail” overlay=”true” size=”medium” group=”” align=”left”] 中外日報創刊115年記念特別講演会・てい談「無常を生きる〜3.11からの文明論」を聴いてきました。メンバーは梅原猛・瀬戸内寂聴・山折哲雄と豪華版、山折さんはともかくも梅原さんと寂聴さんを生で聴ける機会はもうないかも(失礼)と楽しみに。会場は少し空席がありましたが、それでも600名を超える参加者があったとのこと。年齢層はかなり高く、とくに年配のカップルが目立ちます。主催の中外日報社は仏教系の新聞を発行している関係で全国各地からの参加者、連休で混雑する前の京都を楽しむ方も多かったことでしょう。
日時:2012年4月25日(水)14:00〜16:30
会場:ホテルグランヴィア京都(源氏の間)
主催:中外日報社
後援:法蔵館

 有料の講演会ですからその内容を詳しく紹介することは避けますが、宗教・文学・哲学と、三つの切り口からの「無常」へのアプローチは、大変面白いものでした。
 山折さんの進行で、口切りに寺田寅彦の天災に関する言説の紹介の後、寂聴さん・梅原さんの順で約1時間。休憩後はフリートークとなって、時間通りに閉幕しました。
 寂聴さんは、自身の出家時の体験から始めて直近の被災地訪問の報告。無常とは「暗いイメージ」と捉えられがちだけれど、「常ならぬ、変わるもの」と捉えることで最悪の状態から必ず脱却できると。いつもながらの軽妙な語り口で、前向きの人生観と「特技のあんま」を武器に、被災地・被災者の辛い現状を聞き出し、悩みを共有することが大事と説かれていました。
 梅原さんは天災・人災という捉え方を「文明災」と捉えなおし、文明のあり方を変えていく必要を強調。その時のヒントが日本独自の「通仏教的世界観=草木国土悉皆成仏」にある、今後は五木寛之とは違う親鸞像、寂聴さんとは異なる世阿弥を描きたいと。
 山折さんは宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を紹介しつつ、世界の平和と個人の犠牲について問題提起。これに対して梅原さんは、賢治が父の真宗における「利他観の欠如」を批判して日蓮宗に転向した点を評価、それは「自分が救われるだけではなく、自分も救う側に立つことにある」という日本の通仏教的発想につながると。関連して、東本願寺の教えは「悪人正機説を強調しすぎて、親鸞のもつ利他の精神を十分に伝えていない」と批判。
 最後のまとめは、縄文から続く日本独自の宗教を捉え直すことが日本社会の立て直しにつながると提言。主催者からすれば当然の結論でしょうが、教団仏教に限定しないことを前提に、私にも同感できる点が多々ありました。

投稿者: myon

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