19年

 いまの私が教室で接している学生の大半は1年生、またその大半は現役生、つまり、阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件も直接は知らないのです。体験がないという意味では、当たり前ですがオイルショックも大阪万博も東京オリンピックも知らないのです。私はと言えば、韓流ドラマもAKB48のメンバーの動向もプリクラの楽しみ方も知らないのです。40年という時間差を持つ両者が現在を共に生きる、そこに本当に双方向コミュニケーションは成立するのか・・・。ま、それを可能にすべく努力するのが私の仕事なのですね。

 「社会学的想像力」という言葉があります、ライト・ミルズのキー概念として学説史的には重要な言葉です(けれど、Wikipediaには単独の項目がないのですね)。ここの記述を引用すると、

それは、「一人の人間の生活と、一つの社会の歴史とは、両者をともに理解することなしにはそのどちらの一つも理解することができない」(『社会学的想像力』邦訳4頁)と考える想像力である。

 私の場合には、「学問」を身につけるというよりも「資格」を取得することをめざす学生が大半なので、形容詞を付けない「想像力」という言葉を用います。駅の自販機の前でまごまごしているおばあさんがいたとき、「どんくさいな、早くして!」と思う人がいたとして、「財布忘れはったんやろか?」「行き先までの料金がわからへんのやろか?」とは考えられへんかと問いかけます。ちょっと想像力を働かせることで、次に自分がどのような行動を取るかずいぶん違ってくるのですね。このような働きかけをする私自身、今度は彼女達の新鮮な反応に(=つまり、オジサンからすれば「何も知らない!」)自分自身の持つ牢固な先入観を反省するのです。
 災害や犯罪の体験など、直接的には持たない方がいいに決まっています。でも、地震・津波・放射能等で困難な生活を余儀なくされている人たちが多数いる現在、その人たちに思いを巡らす「想像力」を大事にしたい、そんな話をしています。次年度の授業では、もう少し丁寧に「想像力」をとりあげたいと思う今朝であります。

 

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.