孤宿の人

宮部みゆきさんの作品は、文庫化されたものはみな読んでいます。今週の通勤車内読書は孤宿の人、上下2冊をしっかり読んで、たっぷりと楽しませて頂きました。彼女の作品は、やはり現代物よりも時代物の方が好きですね。この作品は讃岐・丸海藩が舞台、もちろん、読めばすぐ分かるように丸亀のことです。私にとっては、大学1年生の夏休みに友人宅を訪れた懐かしい町。善通寺や多度津とともに、瀬戸内の気候や街並みは古い記憶として残っています。この物語を構成する二大要素は御霊信仰と毒、とりわけ御霊信仰については私の授業で取り上げる内容でもあるので、学生諸君にも是非一読を勧めたいと思います。リンクをクリックして、amazonでご購入下さい。

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『台所のオーケストラ』を味わう

 先日古本で入手した、高峰秀子さんの『台所のオーケストラ』を味わっています。著者のオリジナルレシピを集めた本ですが、いやぁ、なかなか愉しませていただいています。有名女優である彼女が1979年に引退宣言、その後は精力的に執筆活動を展開されているとのこと。私がゲットしたこの本は、1982年6月に第一刷がでて、11月2日に32刷、半年足らずでこの数字はすごい。まずは装丁がきれいです、さすがは安野光雅といったところ。中味もなかなか凝っていて、一つの食材や香辛料を取り上げて、それにまつわるエッセイとレシピ、そして和風には俳句、中華風と洋風の場合には歴史上の箴言をはさみ、ちょうど見開きで愉しめるようになっています。いまは文庫本となっていますが、ぜひとも単行本を入手して、時折ぱらぱらとめくる楽しみを味わってください。amazonなら古本でも購入できますよ。
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坂口安吾が面白い

 今年のお盆休み(とっくに過ぎてしまいましたが)に読もうと準備していたのが、坂口安吾の歴史三部作。とはいえ、部屋の片付けと酒のために読書は進まず、今頃になって読み出しています。歴史三部作というのは一般に通用する表現かどうか未確認ですが、手元の文庫本にはそのように明記され、『安吾史譚』『安吾新日本地理』『安吾新日本風土記』を指します。私の手元にあるのは河出文庫のもの、それぞれ初版が1988年2月4日、同5月2日、同11月4日となっており、まだ昭和であったわけです。ところが、遅い読者の私にとっては古本でしか手に入らず、amazonで購入した値段というのが、『安吾史譚』定価440円→1500円、『安吾新日本地理』定価580円→2500円、『安吾新日本風土記』定価480円→2100円と、結構な買い物になったのですね。なぜ今頃安吾かというと、先月読んだ川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説——消された異神たち』の影響なのです。京都の祇園祭に学生を連れて行くため、牛頭天王について少し調べていたのですが、この川村さんの著書がたいそう面白く、そこに引用されていた安吾の伊勢神宮について書いたエッセイが読みたくなって、今回の中古文庫購入となった次第。本来なら、そろそろ紀要原稿に手を付けねばならないのですが、なかなかねぇ・・・。
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いわしのとむらい

カボチャのエビ餡かけ

カボチャのエビ餡かけ,
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 一日中雨、朝の散歩も映画も諦めて、終日部屋の中で家事や読書。冷蔵庫・冷凍庫の掃除で夕飯、写真は冷凍庫から発掘したむきエビを使った「カボチャのエビ餡かけ」。淡泊なカボチャに、素麺つゆの残りを薄めた餡をかけました。読書と言えば、ワンクリックで購入後開封せぬままの本がアチコチに。その一つを明けてみると、下重暁子さんの「くちずさみたくなる名詩」がありました。彼女は元NHKアナウンサー、早稲田の国文出身でフリーになってからの文筆活動の成果の一つがこの本。どういう経緯で発注したかは忘れてしまいましたが、彼女自身による朗読CDを聞きながらの読書は贅沢な時間。大きめのマグカップでびーんず亭のコーヒーを飲みながら、いやぁすっかり夏休み気分の一日でした。


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棚田学会10周年記念誌「ニッポンの棚田」

 私も会員の一人である日本棚田学会が設立10周年、記念誌が発行されました。各地の棚田の写真がきれいですよ、拙文も掲載されていますのでぜひご一読を。友人諸氏で必要な方は、小生までお知らせください(著者割りで)。
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桂吉坊がきく藝

 今日の私のミッションは、インフルエンザ緊急対策本部の待機役、午前9時から午後7時まで、何かあった場合に対応するために学内にいるわけです。もっとも、何かあれば連絡していただくことにして、自分の研究室で(かなり)急ぎの仕事の書類作りをするつもりでした。んが、結局ついつい気になってこの本を一気に読了、いやぁ、おもしろかった。桂吉坊は故・吉朝のお弟子さんで、童顔ではありますが入門10年にしてその将来を嘱望される上方落語界のホープ。私も何度か聞いていますが、きっちりとした稽古に裏付けされた本格的な語り口は、同期の桂まん我ともども大変魅力的。その吉坊が朝日新聞社発行の「論座」の仕事で、東西の藝の達人たちへインタビューしたものをまとめたもの。いやぁ、おもしろいですねぇ。何がおもしろいかというと、祖父と孫(or曾孫)というくらいの年齢差がありながら、ちゃんと藝の上での質問が出来ると言うこと。つまり、大変な勉強家なのですね。府立東住吉高校芸能文化科卒業というのも嬉しくて、私の学生にも彼の後輩が一人います。もちろん、分野によって突っ込みの深浅の違いはありますが、こんな仕事が出来たと言うこと自体が、彼にとっては大変な財産となるでしょう。落語好き、古典芸能好きの方はぜひ一読を。もちろん、画像リンクをクリックしてお買い求めくださいね。
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落語家論

 このところの私は、すっかり小三治です。通勤車内の読書、今朝読了したのが「落語家論」(ちくま文庫)。これは、民族芸能を守る会という団体の会報に連載されたものを2001年7月に単行本出版、2007年12月に文庫化されたもの。正確には調べていませんが、1980年代前半の執筆のものがありますから、40代の小三治師が若手の噺家に向けて発するメッセージと言うことになります。中味は多岐にわたって、後年の「ま・く・ら」と重なる記述も散見されます。私が一番惹かれたのは「鼻濁音のお話」、落語に限らず歌手も含めて日本語の美しさについての言及があります。ゆーみんや松田聖子は濁音で歌も下手だが、内藤やす子・高橋真梨子・加藤登紀子とくると歌によって見事に濁音・鼻濁音を使い分けていると。あるいは、大まかに言って名古屋より西は濁音の世界と言われるのに、笑福亭仁鶴は見事な鼻濁音使い、直接質してみると、若い自分に小米(枝雀)たちと「きれいな言葉を使おう」と話し合ったことがあったとか。加えて、米朝・小文枝、そしてどろどろの大阪を代表する六代目松鶴までもが見事な鼻濁音使いであるという発見、これをもって、東京の落語家に鼻濁音を使えずして江戸の話が出来るのかと問いかけるわけです。巻末の小沢昭一の解説も含め、なかなか読み応えのある一書、いかがですか、ぜひ画像リンクをクリックしてお買い求めください。 😛
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長い一週間でした

焼かないだし巻き 今週はイベントおよび会議が続き、とても長く感じた一週間でした。月曜日は「5月の誕生会」のために早めにかえって支度しましたが、火曜日から金曜日まで22時台の帰宅、珍しく夕飯を作れない毎日。昨日の土曜日も必要があって出勤しましたが、さすがに早めに退出しての夕飯づくり。気分転換も兼ねて、少し頑張りました。このところ、安くて見栄えがするため好んで作るのが「焼かないだし巻き」。鍋に出汁を沸かして、そこへ溶き卵を入れて固め、巻き簀で形を整えるというもの。写真はいささかピントがぼけていますが、それなりにいいものに見えるでしょう? 出来たてはもちろん、冷めても美味しいところも嬉しい。「干物で作るしめ鯖」同様、ここしばらくは来客メニューの定番です。他には「キャベツと豚バラの簡単煮」「アラメの煮物」「小松菜の胡麻和え」「ほくほくサツマイモ」と、みな十分満足できる仕上がりでした。
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小三治

 京都みなみ会館で9日(土)から始まったドキュメンタリー映画「小三治」、早速観てきました。彼は落語家としてはじめて人間国宝となった5代目柳家小さんの弟子で、立川談志の弟弟子にあたる人。残念ながら私は生で聴いたことはありませんが、独特の間を持つ人で、聞き手に緊張を強いる談志の芸風とは正反対。若い頃は目線の鋭さがとんがった印象を与えていましたが、いまは哲学者然とした風貌がいい味わいとなっています。以前、枝雀さんが亡くなった時の逸話ですが、訃報を聞いた時に「苦しんでいるのはおめえだけじゃねぇんだ」と言ったとか。これも有名な逸話でご本人が喋っていますが、師匠である小さんが彼の噺を聞き終えた後ぽつり、「おめえの噺は面白くねぇなぁ」。この言葉が、彼のその後の落語との戦いのバネとなっているのでしょう。私自身は、面白いと言うよりも「おかしみ」を持った人と受け止めています。苦しみの後からにじみ出てくるおかしみを感じさせてくれる噺家さんであり、喋らなくてもじっと顔を見ているだけでいつしか微笑んでしまう、そんな印象を持っています。映画の中では彼の落語観・芸談が随所で披露されますが、結局はたった一つのこと、それは芸ではなく人間が大事と語っているわけです。落語に興味のない人にもぜひご覧頂きたい、いい作品です。
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きっと、仏さまはここにいる

 昨晩知人からのメールで、磯田宥海師の死を知りました、1月22日(木)のことだったとか。高校の同級生で、私を落語研究会に誘ってくれた人物です。風貌・声質・語り口、すべてアマチュアの域を越えた人で、ご本人は真剣に六代目松鶴師への入門を考えていたこともありました。結局、柔道部の顧問をされていた導師の導きで高野山大学へ。卒業後は、一度だけ長男誕生直後の我が家に遊びに来てくれたことがありました。ググってみると、彼の著書が見つかったのですぐに発注。気持ちの落ち着いた時に、読んでみようと思います。どうぞ、安らかに。

きっと、仏さまはここにいる
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