落語家論

 このところの私は、すっかり小三治です。通勤車内の読書、今朝読了したのが「落語家論」(ちくま文庫)。これは、民族芸能を守る会という団体の会報に連載されたものを2001年7月に単行本出版、2007年12月に文庫化されたもの。正確には調べていませんが、1980年代前半の執筆のものがありますから、40代の小三治師が若手の噺家に向けて発するメッセージと言うことになります。中味は多岐にわたって、後年の「ま・く・ら」と重なる記述も散見されます。私が一番惹かれたのは「鼻濁音のお話」、落語に限らず歌手も含めて日本語の美しさについての言及があります。ゆーみんや松田聖子は濁音で歌も下手だが、内藤やす子・高橋真梨子・加藤登紀子とくると歌によって見事に濁音・鼻濁音を使い分けていると。あるいは、大まかに言って名古屋より西は濁音の世界と言われるのに、笑福亭仁鶴は見事な鼻濁音使い、直接質してみると、若い自分に小米(枝雀)たちと「きれいな言葉を使おう」と話し合ったことがあったとか。加えて、米朝・小文枝、そしてどろどろの大阪を代表する六代目松鶴までもが見事な鼻濁音使いであるという発見、これをもって、東京の落語家に鼻濁音を使えずして江戸の話が出来るのかと問いかけるわけです。巻末の小沢昭一の解説も含め、なかなか読み応えのある一書、いかがですか、ぜひ画像リンクをクリックしてお買い求めください。 😛

内容(「BOOK」データベースより)
ホントにいいのかなあ、本なんかにしちまって。これは今さかのぼる二十年以上前に、頬輝かせて噺家になったばかりの諸君へ向けて書いたものです。師匠の姿に学んだこと、修業のいろは、楽屋の風習のすばらしさ、人との出会い、筋を通すということ、旅、酒、言葉、歳…こんなに正直に書いてしまったことを恥ずかしく思いつつ、これはあの頃の私の心意気でもあります。

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.