人と防災未来センターへ行ってきました

今日のミッション

今日のミッション,
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 これまでなかなかきっかけがつかめなかったのですが、念願の阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センターへ行ってきました。京都から新快速に乗って芦屋、そこで普通に乗り換えて灘駅下車、海に向かって10分強歩けば到着。開館直後に訪れたのですが、団体も含めて相当な人出。いつもこうなのか、それとも東日本大震災の影響か。映像資料や体験コーナーなどが豊富に用意され、学生・生徒の研修にはもってこい。展示内容よりもサインや誘導、音響などでいくつか気になる点はありましたが、行ってよかったと思いました。ほんの1時間程度の移動ですが、京都駅で下車したとたんの空気は燃えている、神戸とずいぶん気象が違うことに改めて驚かされました。


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ツイッター3年目

マンボウの丘

 私がTwitterを始めたのは2009年6月27日(土)のこと、今日で3年目に突入します。そもそものきっかけは、出張時などに手軽に行動メモを残すこと。つぶやきを材料として、時間のあるときにブログに記事をまとめるというイメージでした。実際に使い出してみるとやはり便利、当初は携帯のカメラが貧弱でしたが昨年のこの日はiPhone3GS、そしていまはiPhone4と環境だけは確実に進化しております。現在ではFacebookの利用も始めてコミュニケーション環境は一層向上、ただし、行動の整理と報告のメインであるブログの更新が怠りがちなのはいただけませんが。そんなこんなで、近況を整理しておきます。
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tsunamiの語源

 京都新聞(朝刊)に、5月18日(水)から「大変を生きる-災害と文学」という記事の連載(掲載は週一回)が始まりました。第一回目にはこの連載の趣旨として「死者・行方不明者、計約2万5千人という未曽有の東日本大震災。原発の事故も続く。日本に生きる人たちはこれまでの災害とどう闘い、大変をどう生き、書いできたのかを紹介していく」とあり、第一回目には吉村昭さんの三陸大津波の取材時の様子が紹介されています。今朝の朝刊には第二回目、「稲むらの火」で有名な浜口梧陵の息子・浜口担の英国の講演時のエピソードが紹介されています。ラフカディオ・ハーンが梧陵のエピソードを『生神様』という作品でまず海外で発表し、その際、津波をtsunamiと表記したことからこの言葉が国際化し、1968年には米国の海洋学者から国際語として提案されたとのこと。そう言えば、以前わたしも稲むらの火という記事を書いていました。この連載、大変興味深く、スキャンしてEvernoteに保存しています。
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新熊野神社御鎮座850年祭

大楠

 今年の夏休みに京都の熊野三山詣でを実現したことは、熊野in京都という記事で報告済み。その際、椥の木をいただいたことをご縁に、全国熊野会と大樟保存会への入会によって、非売品のナギの実ブレスレットをいただいたのでした。その新熊野神社の御鎮座850年祭が10月16日(土)に行われ、参加することが出来ました。祭典のプログラムには山内とも子さんの平家琵琶の演奏、山城舞楽会による巫女舞の奉納もあって華やかに。わけても、神前で神職と僧侶(今熊野観音寺)それに山伏(聖護院門跡)がともに般若心経を唱える場面では一般の参加者も大勢唱和して、かつての神仏習合の姿が鮮やかに現前に展開されたのでした。当初は、祭典後に新しくつくられた「熊野古道」を山伏の先導で渡り初め、それが終わるのが12時という予定だったのですが、本殿に参加者全員を入場させるのにずいぶんと時間がかかったこともあって、私は渡り初めには加わらずに帰宅、それでも、たいへん貴重な体験をさせていただいたことでした。
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続・ご縁ありがたく

ベーコンと野菜のトマト煮

 台風の影響で、気温はそれほど上がりませんでしたが、蒸し暑い京都でした。このところ私は夏休みですから、午前5時起床で早朝梅小路公園ウォーキング、帰宅後に朝食をいただいてから洗濯というのが朝のメニュー。いつもならその後は読書タイムですが、今日は早めの外出、前任校時代の教え子と会う約束があったからです。N君は平成10(1998)年3月卒業とのことですから、社会人13年目、山形県への出張の帰路京都へ立ち寄ってくれたのです。彼は卒業後すぐに某テレビ局の制作部に就職したのですが1年後に退社、両親のふるさとである三重県宮川村(現在は合併して大台町)の役場職員となり、私も仕事で何度か顔を会わせてはいました。午前10時半に四条烏丸で待ち合わせ、錦市場から三条通、祇園、先斗町から新京極へと約1時間の京都市内散策。ほどよく汗をかいたところで新京極でビール、仕上げに蕎麦を食べて昼過ぎに別れました。彼の最近の仕事の様子を聞きながら雑談しただけですが、ずいぶんとたくましくなったのは心強い限り。帰宅後に一眠りして起き上がると、同僚sampe氏からMMS、蓼科土産のハーバルノートのハーブ・スパイスを届けるとのこと、早速今夜の一品に利用しました。ありがとうございます。
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iPhoneをスキャナとして利用する

習作

 iPhone購入後4週間経過、もはや携帯電話の域を越えた存在となっています。火曜日に久しぶりに10枚以上の名刺交換をしましたが、同僚かつiPhone先達のsampe氏のアドバイスに従って、名刺をカメラ撮影して「連絡先」に取り込むことにしました。かつてはデータをテキスト化して利用することが主でしたが、年賀状をやめてからはその必要性も低下しました。ただ、付属のカメラ機能をそのまま使う場合には、やはりバラツキが出ます。またまたsampe氏のアドバイスに従ってスキャナを導入することに、選んだのはTurboScan、普通にカメラ撮影した後に切り取り画面を選んで保存すれば終了。シンプルですが、私の利用形態にはピッタリです。写真はココをカメラで撮影してスキャンしたもの、これはこれで面白い一枚になりますね。
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補充調査で熊野へ

座礁したフェリー

座礁したフェリー,
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今年度の合同社会調査実習、補充調査で11月29日(日)30日(月)に熊野・御浜へ行ってきました。写真は、先日座礁したフェリー、熊野市と御浜町のちょうど境目あたりの七里御浜沖、周辺には監視の舟やタグボートなどがしきりに動いていました。写真右端の舟からは放水が、案内していただいた関係者によれば、海上に流れ出た油を拡散するためだとか。この海域では本来は伊勢エビ漁が本格化する時期、しかし事態の回復の目処は全くたっていないようで、漁業者も行政も困惑の色を隠せません。そんなこととは関係なく、私たちも含めてかなりの数の見物客がやってきて、国道42号線の駐車車両が目立ちます。思わず「たこ焼きの屋台はないのかな?」と思ってしまうのは関西人の悪いくせ、地元の皆さん、ごめんなさい。


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南方熊楠と熊野

 生涯学習吹田市民大学については、すでにこのブログでも告知しています。昨日は第三回目で私の担当、「南方熊楠と熊野」というテーマで話をさせて頂きました。私自身は熊楠を専門的に研究しているわけではありませんが、自分の方法論(=内発的発展論)とフィールド(=熊野)にとっては、畏敬と親しみを感じている存在です。120名の熱心な聴衆に果たして満足して頂けたかどうか、あまり自信はありませんが、やはりこのような場を与えて頂いたことは励みになります。吹田市教育委員会とご参加いただいた皆様に、改めてお礼申し上げます。
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棚田学会10周年記念誌「ニッポンの棚田」

 私も会員の一人である日本棚田学会が設立10周年、記念誌が発行されました。各地の棚田の写真がきれいですよ、拙文も掲載されていますのでぜひご一読を。友人諸氏で必要な方は、小生までお知らせください(著者割りで)。
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本調査終了

2008年度合同社会調査実習 台風13号の影響で出発を1日延期しましたが、9月20日(土)〜22日(月)の2泊3日、今年の合同社会調査実習の本調査を無事終了することができました。台風の雨に洗われて、空気が大変きれい!ほんの一時のにわか雨をのぞいては、大変気持ちのよいお天気でした。例年同様に京都大学と関西学院大学、今年はそれに加えて京都教育大学・法政大学の学部生、愛媛大学の研究員の参加もあって総勢80名の大所帯。いつもながらの現地サポーターの協力と、たくましいチューター陣の奮闘の結果、大変中身の濃いものとなりました。教員チームは主として挨拶回りですが、東京出張直前の浜峰さんと久しぶりに会うことができたこと、サポートしていただいている熊野市長・御浜町長にも面会できて直接お礼を申し上げることができたのは何より。全行程終了後、拙宅でM兄、momoさんと打ち上げ。例によって、誰一人他人の言うことを聞くことなく自説を主張するという展開は、はっきり言って近所迷惑。 :mrgreen: 皆様、お疲れ様でした。
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