今さらながら、東京やなぎ句会

 そもそもの発端は、5月14日(土)の柳家小三治独演会にさかのぼるのです。初めての生小三治を十分に堪能したその日、小三治師は例の長いマクラの大半を費やして、東京やなぎ句会と米朝師について語られたのでした。4月17日(日)に開催された東京やなぎ句会第501回例会に久々に米朝師が出席し、その際の「桜餅一つ残して帰りけり」という八十八(=米朝師の俳号)の句を土茶(=小三治師の俳号)が天に抜いたという話題でした。帰宅するやさっそく東京やなぎ句会の書籍を発注したのですが、その後「60歳からは俳句でツイッター」という志を(密かに)たて、暇があれば季語などを学ぶ日々が(断片的に)続いたのであります。つい先日の米朝一門夏祭りの直近になって、米朝師の米寿に先立って初の句集が出版されて早速ゲット、この数ヶ月間、落語と俳句が私の生活の主軸となっていたのであります。

 東京やなぎ句会のメンバーは、入船亭扇橋・永六輔・大西信行・小沢昭一・桂米朝・加藤武・柳家小三治・矢野誠一の各氏、鬼籍に入られた方が江國滋・神吉拓郎・三田純市・永井啓夫というそうそうたる方々。東京やなぎ句会として公刊された書籍は次の通り(amazon情報に基づく)。

佐渡新発見−伝統と文化
この記事を執筆している段階では、amazonの古本でも在庫なし、私はほんの数日前にゲットしました。「快談、歓談、芸談、座談、珍談、閑談、巷談、余談。佐渡びいきの風流人たちがもうひとつの味わい方、楽しみ方を語り合う」、1993年5月、三一新書。米朝師は参加されていません。
友あり駄句あり三十年
こちらも、現段階では中古しかありませんね。「これが句会?笑ってばっかりで!メンバーは揃って芸達者、だけど名うての「うるさ型」。すぐにも空中分解しそうな句会が、なぜ30年も続いたか?20世紀の奇跡?「東京やなぎ句会」の全貌がいま明らかに」、1999年3月、日本経済新聞社。
五・七・五−句縁四十年
四十周年記念出版、「俳句のこころは戯れにあり。マジメに俳句と戯れる、宴の如き句会への招待」、2009年7月、岩波書店。
楽し句も、苦し句もあり、五・七・五−五百回、四十二年
「毎月一回句会を開いて42年、500回を迎えた東京やなぎ句会。入船亭扇橋・永六輔・小沢昭一・大西信行・加藤武・桂米朝・柳家小三治・矢野誠一。この顔ぶれが揃えば楽しくないわけがない! 苦吟しながらも爆笑また爆笑の句会実況中継をはじめ、エッセイ、自選三十句などにより、句会の愉しみ、俳句の魅力を紹介する」、2011年7月、岩波書店。
桂米朝句集
米朝師単独の句集ですが、中味は東京やなぎ句会のものが中心。「落語界ではただ一人、文化勲章の栄誉に輝く桂米朝師匠。俳句を嗜むことでも知られ、東京やなぎ句会発足時(昭和四十四年)からのメンバーである。俳号は「米」の字にちなみ八十八を名乗っている。本書は、米寿に先がけて刊行する、桂米朝初めての句集である。いままでに東京やなぎ句会で詠まれた作品を中心に収録。その高座同様に粋で端正な俳句から、遊び心あふれる破礼句まで、米朝俳句の多彩な表情が味わえる。俳句にまつわる随筆、毛筆色紙図版も合わせて収めた愛蔵版である」、2011年7月、岩波書店。

投稿者: myon

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