文化の日々

 国民の休日である振替休日に授業をする大学がかなりあります、そのことの問題点については・・・、ま、議論は面倒なのでやめておきましょう。私の場合は授業が入っていないので、心置きなく三連休を楽しませていただきました。一方ツレアイの職場は土曜日も平日同様の勤務故、基本的に三連休とはなりません。ところが今年はというと、先月に続いて今月も滅多にない三連休が実現しました。11月3日は文化の日=日本国憲法公布を記念する日、夫婦揃って平和を願いかつ文化的な生活を楽しむ三日間とあいなりました。

[flickr id=”10637707135″ thumbnail=”small_320″ overlay=”true” size=”medium” group=”” align=”center”]

 11月2日(土)、まだまだ紅葉には早いですが秋を五感で感じようと家族でドライブ、向かうは丹波篠山。拙宅からは亀岡を経由して80分程度のドライブ、疲れを残さない半日コース。観光としてはブラブラまちあるきがお勧めですが、半日で昼食と買い物がメイン、既存施設を駆け足でめぐってまいりました。まずはランチ、そこそこ広い駐車場が満車になる寸前に滑り込んだのは特産館ささやま。冬なればぼたん鍋といきたいところですが何しろランチ、近頃JAが力を入れている篠山牛のメニューの中から私が選んだのは牛とろ丼、「ささやま自慢の牛肉を鉄板焼にして、こしの強い山の芋のとろろと合わせて仕立てた 名物のごちそう丼です」とのことで、1575円に十分満足いたしました。これも丹波ならではの焼き栗を車内でデザートとしていただきつつ、次に向かったのは味土里館、JA直営の農産物販売所。さすがに午後のこととて、商品はだいぶ少なくなっていましたが、欲しいと思っていたものはちゃんとありました。それが写真の唐辛子、この時期これを見つけると必ず買いこんで唐辛子酢を仕込むのです。他には葉物野菜と地酒を買いこんで、急きょ帰ってきた長男含めて久しぶりに家族五人で夕飯を楽しみました。

[flickr id=”10639191506″ thumbnail=”small_320″ overlay=”true” size=”original” group=”” align=”center”]

 11月3日(日)、上方落語の中堅・枝雀の三番弟子の雀松さんがめでたく三代目・桂文之助を襲名、南座での披露公演に出かけました。いつもなら番組の記録を残すところですが、ま、祝い事ですので細々としたことは省きまして、文之助師の今後のご活躍を祈ることと致しましょう。それにしても南座は立派な劇場、お披露目にふさわしい華やいだ雰囲気。ただし、私はというとお小遣いの制約から二等の三階席、いやぁ、天井は近いが舞台は遠い!

 11月4日(月)、明け方までの雨も止んだことから、梅小路公園の蒸気機関車館や水族館の人混みをかき分けるように散歩、向かった先は京都みなみ会館。私の場合は作品内容よりも朝一番の上映時間がターゲット、今回観たのは『飛べ!ダコタ』。予備知識(ほとんど)なしに観た映画、いやぁ良かった、大正解!どんな映画かというと・・・

これは、いまから67年前に、実際にあった出来事である。昭和21年1月14日――太平洋戦争の終結からわずか5ヶ月後のこと。佐渡島の小さな村に、イギリス軍の要人機《ダコタ》が不時着した。わずか5ヶ月前まで、敵国だったイギリス兵の予期せぬ来訪に、驚き、戸惑う村民たち。だが、「困った人を助けるのが「佐渡ん人間(さどんもん)」の精神を貫き、国境を越えた友情と絆を育み、《ダコタ》をふたたび大空へと飛び立たせたのだ。そこには、日英共に戦争という忘れ難い痛みと憎しみを乗り越え、再生と平和への一歩を踏み出そうとする、願いと決意が込められていた。

それから、64年の歳月が流れて、《ダコタ》の修理を行った整備士の息子が、佐渡を来訪するという出来事があった。彼は、すでに他界した父がこの地で大変お世話になったこと。そして、もう一度、佐渡に行きたいと思いを馳せながら死んだことを告げた。国境を越えた絆は、いまでも人々の心に脈々と生き続けていたのだ。これを機に、「この事実を風化させてはならない」と願う、地元フィルムコミッションの働きかけによって、総製作費約2億円を投じて、ついにその映画化が実現した。

 戦争と平和について改めて考えさせられる作品、いい台詞も幾つかありました(忘れましたが)。佐渡の風の凄さと住民総出の滑走路作りの場面が印象的、まさに文化の日々を締めくくるにふさわしいものでした。みなさん、ぜひ映画館でご覧下さい。

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.

「文化の日々」への2件のフィードバック

  1. myonさん、こんにちは。
    私の名付け親は、硫黄島の生き残りです。
    会うたびに、艦砲射撃の凄まじさ、タコツボに砲弾が命中し木っ端微塵になった多くの戦友、陥落1週間前に師団長の若者を思う配慮で父島に脱出出来たこと、その他色々な話を聞いて育ちました。
    今、学徒の碑が撤去されようとしていますが、その名付け親も学徒出陣の方でした。
    戦争は勝っても負けても悲惨です。しかし、他国での戦争ほど儲かるものはないので戦争は終わらないのですよね。
    日本も朝鮮戦争で復活しましたから。
    先の大戦を知る方、経験された方の高齢化が進み、戦争の話が語り伝えられなくなってきています。
    私も、名付け親から聞いた話や戦死した友人、現在でも戦地へ行っている人の話しを若い人たちに伝えていこうと思っています。

    1. mooさん、こんにちは、というか、すでに暗くなっているので今晩は。
      私の子どもの頃、夕飯時に父が晩酌でいい機嫌になると、決まって戦時中の体験談となりました。彼は子どもの頃の右手火傷のために兵役免除、寺で疎開の子どもたちを沢山預かっていました。従って戦地のことではありませんが、長女と一緒に機銃掃射を浴びたことや、食糧確保に苦労したことなどがよく話題に。
      その父も亡くなって30年近く、戦争体験のリアリティを伝えることが、本当に困難になってきましたね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です