初こぼれ梅

こぼれ梅

 2011年1月19日の朝日新聞紙上で【こぼれ梅】しとやかに舌上の花という記事を見つけたのですが、もちろん落語ファンならご存じの「鷺とり」に登場する、あの「こぼれ梅(味醂のしぼりかす)」であります。どなたかのブログで「弘法さん、天神さんでも売ってる」との言及を発見し、本日ついにゲットしたのであります。七条界隈に住まう私にとっては、九条通り沿いにある東寺さんは比較的身近な存在、散歩に行ったり学生を引率したりとなじみの場所。しかし、なかなか弘法さん当日に伺うことは難しいのです。まして天神さんとなれば、何かの仕事でも関わらなければふらっと立ち寄れる場所ではありません。幸い今年度の授業も終了し会議も入っていない本日、午前中は熊野関連の寺社巡りの一環で三十三間堂へお詣りし、華祥でランチを済ませてからの初天神。混雑する境内の露天の中で、やっとこぼれ梅に出会えたのでした、いやぁ、満足。

 三十三間堂は、正しくは蓮華王院本堂と呼ばれますが、新熊野神社の説明によれば

後白河天皇(第77代)は1155年に即位され1158年に退位されましたが、退位後も引き続き院政を敷かれ、そのときのお住まいとなったのが現在三十三間堂の東側にある「法住寺」です。当時は「法住寺殿」といわれ、その鎮守社として創建されたのが新熊野神社、鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。その造営には法皇の命を受けて平清盛が当たりました…
現在でも神棚と仏壇を備えている家庭は多いと思いますが、簡単にいうと、後白河法皇邸の神棚が新熊野神社で、仏壇が三十三間堂という関係になっています。

 実は、ちゃんとお詣りしたのは今回が(多分)初めて。広い板の間の空間はこの時期には非常に冷えて辛いものがありますが、しかし、ご本尊の千手観音坐像はもちろんのこと、1000体の千手観音立像が居並ぶ姿は壮観。風神・雷神像や二十八部衆立像など見所一杯、できることなら、もう少し暖かくなってから再訪したいと切に思いました。
 なお、こちらで行われる「楊枝のお加持(やなぎのおかじ)」と呼ばれる儀式と熊野の関わりについて、「み熊野ねっと」さんに三十三間堂棟木の由来という解説記事があります。ぜひ、ご覧下さい。

投稿者: myon

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