年賀状から

 私は2004年3月で三重県松阪市の某大学を退職し、4月から大阪府吹田市の現在の勤務先に異動しました。その際の挨拶状をきっかけに、新年のご挨拶を失礼することに決めました。というのも、年々増加する年賀状に対応することが、実質上不可能になったのです。一方では毎年卒業する学生がいるわけで、とりわけ3年・4年のゼミについては(ほとんど)一生付き合うような濃い関係になりますし、場合によっては結婚式に招いて頂くようなことも少なくありません。他方、当時の私は地方都市の地域政策と関わる仕事をしていた関係上、とくに役所関係の名刺の数は半端なものではありません。そのすべてではないにしても、500枚を超える年賀状のやりとりをすることは、一教員のコミュニケーション能力の限界を超えるものです。そんなこんなで自分から年賀状を出すことはなくなりましたが、それでもやはり、数十名の方からは未だにご挨拶を頂くわけです。本来ならば、寒に入ったこの時期に寒中見舞いをすべきところではありますが、でもやはり、ゴメンナサイなのです。

 今年頂いた年賀状の中から、印象的なものをいくつか。三重県伊賀市在住のFさん、彼女は私が最初に赴任した年に入学された学生で3年・4年のゼミ生でした。見るからに内気そうなお嬢さんで、爪を噛むくせがありましたね(昔、そんな歌もありましたっけ)。そんな彼女も3人の男の子の母親として頑張っているとのこと、とりわけ、三男坊が今年小学生だとか。地元のマチの天神祭を卒業研究の対象としたのですが、外見から想像できないほど熱心に取り組んでくれた方でした。
 大阪府最南端の町に住むY君、彼は前任校の最後のゼミ生でしたが、原因不明の病気で2年近い闘病生活。彼は推薦入試だったのですが、その時の面接官が私だったとか。それ以来、卒業後も主として携帯メールでのやりとりを中心に、一度は(当時の)彼女を連れて京都で食事をしたこともありました。何とか体調が戻って職場復帰、主任として活躍しているという嬉しい知らせでした。
 愛知県の住所から届いたのは、かつて三重県K町在住のMさん。彼は、私がお手伝いしていた東紀州活性化大学という勉強会のメンバーでしたが、経済情勢の急変で、やむなくふるさとを離れての単身生活。幸い、努力が実って再びご家族一緒の生活を取り戻されたとか。ふるさとにはご母堂が1人暮らしておられるとのことですが、まずは一安心。
 とまぁ、こんなことを書いていると、やはり年に一度の近況報告としての年賀状の効能は否定できないところ。ではありますが、私としては物理的に対応不可能なことは明らかで、それゆえに、このようなオンライン・コミュニケーションツールを利用することで、皆さんにお知らせする方法を選んだのでした。
 みなさま、どうぞ本年もよろしくお願いします。

 

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.