京の噺家・桂米二さんの一門会も数えて七回目、この会ばかりはかかさず出席しております。会場の京都府立文化芸術会館和室は米二一門のホームグラウンド、毎回満員御礼を続けてきましたが、今日は七部の入り。好天かつ他にも京都で幾つか会があった影響でしょうが、いつもの窮屈さを脱して楽に聴くことができました。これまでプログラムの準備はすべて米二師匠でしたが、今回からは二乗君が作成だとか。果たしてマメでイラチの師匠が文句も言わずに任せておけるかどうか、いささか興味深いところではあります。それにしても毎回驚かされるのは二葉ちゃんのイラスト、これだけで本職になれるのではと思うくらいユニークな表現、この表現力が今後の噺に活かされるよう期待したいものです。
- 七度狐(桂二葉)
- 本日のプログラムの本人の弁では、3月19日繁昌亭での一門会で年季明け、その時のネタがこの七度狐とのこと。私は初めて聴きましたが、立派でした。一箇所だけ詰まって台詞を繰り返すところがありましたが、全く問題ありません。前座噺としては大ネタに入るものですが、堂々と演じきりました。もちろん、細かな修正点はいくらもあるでしょうが、師匠から教わったネタを無心に、余計な入れごとなどせずに演じきる姿勢が素晴らしい。今後師匠の元を離れての他流試合が増えていくのでしょうが、受けることに汲々とすることなく、ネタ本来のおもしろさで勝負する姿勢を堅持して欲しいものです(29分)。
- 青菜(桂二乗)
- 時期的には少し早いかも知れませんが、今日のような日中の暑さではこの噺のリアリティが増してきます。東西ともいろんな方がやられますが、東の方ではお屋敷の庭の清々しさや屋敷の涼しげな様子が強調されますし、西の方では長屋の暑苦しさが際立ちます。今日の二乗君、前半は旦那と植木屋、後半は植木屋夫婦と大工のやり取り中心、つまり夏の暑さやそれをしのぐ暮らしの工夫といった背景がほとんど触れられませんでした。もともとこのような型なのでしょうか、しかし、いかにも中途半端な印象でもったいない。入門して間もなく丸11年、決して下手ではないと思うのですが、素直に笑わせてくれないのですね(23分)。
- 二十四孝(桂米二)
- 今日の米二さん、知ってか知らずか第58回臨時停車の会(2012年12月7日)と全く同じネタ構成。もっとも、その際には「骨つり」が先、「二十四孝」でトリでした。噺の導入部、嫁と母親に対して離縁状を書くというのは「天災」と同じ、ネタ出しされていなければ悩むところでした。親孝行という意味では普遍性があるのですが、中国の故事を下敷きにしている分、どうしてもリアリティに欠けますし、それを吹き飛ばすような突飛な展開が表れるわけではないので、個人的にはすぐに飽きてしまいますね。途中眠くなってしまったのは、演者ではなくネタそのものに原因があると思っています(28分)。
- 替わり目(桂二乗)
- 数ある落語の中でも最も好きな咄の一つがこの「替わり目」、もちろん自分が酒好きであることが大きいのですが、酒飲みの心理と夫婦の関係が扱われていること。さらにその扱い方・表現が演者によっていろんな演じ方があって愉しめる噺です。さて二乗君、この人の話を聴いて素直に褒めたためしがない。なんというか、聴いていてこちらに力が入って疲れるのです。登場人物すべてが同じように精一杯で余裕がなく、メリハリがないので段々と肩が凝ってくるのです。もう少し引く呼吸というのか、楽に演じれば随分と印象も変わると思うのですが・・・(29分)。
- 仲入り
- 無礼講トーク
- 登場するなり、いきなり師匠からカミナリ「替わり目、20年早いな!」。少し気の毒な気もしますが、私も同じ印象です。トークの進行は二乗君が仕切るのですが、本当に下手。途中何度も師匠が、「もっと手短に喋れ」と。多分、それが一番重要なこと、本質を端的に表現すること、これが出来れば随分良くなると思うのですが。後半は客席からの質問、私は最後に二葉ちゃんに「いま取り組んでいるネタは?」「桃太郎です」とのこと。師匠から直に教わるのではなく、活字で覚えて師匠に聞いていただくのだとか。いつ聴けるのか、楽しみが増えました。
- 骨つり(桂米二)
- 何とも露骨なネーミング、東京の「野ざらし」とはえらい違い。骨を回向したことで幽霊がお礼にきて素性を語る、若い女性と無骨な五右衛門、一見大きく異なるようですがこれも比較の妙。一方を優しげに表現することで、他方の仰々しさが浮かび上がるのです。この師匠の表現法をなぜ素直に吸収できないのかなぁと、これまた二乗君への注文となってしまいました(27分)。
終演後、出口で米二さんに挨拶すると「一門の手拭いを作りました」と手渡されました。そういえば、米朝一門の手拭いは幾つか持っていますが、米二さん個人のものは所有していません。とても嬉しい、師匠、ありがとうございました。