お疲れ様でした

[flickr id=”9510228519″ thumbnail=”thumbnail” overlay=”true” size=”original” group=”” align=”left”]  2013年8月8日、私の母・寺口愛子が旅立ちました。人生の前半は5人の子の母として、後半は坊守・住職として、晩年は癌と闘う患者として、波乱に満ちたその生涯を前向きに駆け抜けました。自分のやりたいことをやり抜くというその姿勢は、時として周囲との軋轢も生みましたが、時代と境遇の制限を言い訳とすることなく、いつも凛としたものでした。1922(大正11)年に生まれて平成の世まで91年3ヶ月、子として母の長命を望むのは当然ですが、他方十分であったとも思います。お母さん、本当にお疲れ様でした。

 4年前に右下肢に平滑筋肉腫を発症し、それ以来歩行困難となりましたが、食欲と口数は衰えを知りませんでした。今年になってからは胆管癌が見つかり、食事摂取が困難に。何度か入退院を繰り返しましたが7月末に再度入院、この段階で「もう家に戻るのは無理」との判断。普段生活を共にする次兄家族が面倒を見てくれていましたが、緩和ケア病棟に移ってからは交代で夜の泊まり込み開始。私の方は授業が終わって成績処理、やっと夏休みとなって昼間の付き添いに入ったのが8月8日のこと。職場に行く次兄を送り出して病室には私一人、Twitter&Facebook に「当初予定されていた会議がなくなり、私は夏休み突入。これからは、可能な限り母の付き添いに(posted at 10:57:08)」と投稿した直後、静かに息を引き取りました。
 生家は浄土真宗本願寺派の末寺、言うまでもなくお盆は一年で一番の繁忙期。寺を預かる次兄との相談で、盆の間は私たち夫婦が昼夜とも付きそうことを確認していました。母に対しても、「お母さん、今年の夏は暑いから盆があけるまで病院にいようね」と呼びかけたばかり。声には反応しませんでしたが、自身の通夜・葬儀等が無理なく実施できるギリギリのリミットを見越したかのような最後でした。残される者への配慮にあふれる最後は天晴れ、お母さん、本当にありがとうございました。

投稿者: myon

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