お疲れ様でした

[flickr id=”9510228519″ thumbnail=”thumbnail” overlay=”true” size=”original” group=”” align=”left”]  2013年8月8日、私の母・寺口愛子が旅立ちました。人生の前半は5人の子の母として、後半は坊守・住職として、晩年は癌と闘う患者として、波乱に満ちたその生涯を前向きに駆け抜けました。自分のやりたいことをやり抜くというその姿勢は、時として周囲との軋轢も生みましたが、時代と境遇の制限を言い訳とすることなく、いつも凛としたものでした。1922(大正11)年に生まれて平成の世まで91年3ヶ月、子として母の長命を望むのは当然ですが、他方十分であったとも思います。お母さん、本当にお疲れ様でした。
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きっと、仏さまはここにいる

 昨晩知人からのメールで、磯田宥海師の死を知りました、1月22日(木)のことだったとか。高校の同級生で、私を落語研究会に誘ってくれた人物です。風貌・声質・語り口、すべてアマチュアの域を越えた人で、ご本人は真剣に六代目松鶴師への入門を考えていたこともありました。結局、柔道部の顧問をされていた導師の導きで高野山大学へ。卒業後は、一度だけ長男誕生直後の我が家に遊びに来てくれたことがありました。ググってみると、彼の著書が見つかったのですぐに発注。気持ちの落ち着いた時に、読んでみようと思います。どうぞ、安らかに。

きっと、仏さまはここにいる
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打ち合わせ

 昨日の夕方、珍しく代表番号経由で電話が。いつも携帯にかかってくるM氏からでしたが、何のことはない、私の番号を間違えて登録していたためにつながらなかったのでした。用件は例年実施している合同社会調査実習の打ち合わせ、急に大阪(梅田)へ集合することになりました。集まったのは関学のF氏、京教大のT氏、それに非常勤をお願いしているO氏の面々、週末の現地での打ち合わせのための下打ち合わせでした。阪急梅田駅近くの魚料理の店、私が関西へ戻って5年目になるのですが、熊野以外でこのメンバーで集まるというのは極めてまれ。話の中身はいつも通りなのですが、妙に懐かしさを感じたのでした。
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寒くてpitapaな一日

 昨日ものんびりとした出勤でしたが、途中阪急淡路駅で千里線に乗り換えた途端、副手のOさんから携帯に連絡。同僚・Aさんの御尊父が亡くなられたとのこと。つい二日前に病院に付き添うという連絡を頂いたばかりでしたが・・・。80歳を越えての脳卒中、この寒さが影響したのかも知れません。残念なことではありますが、仕事を早めに切り上げて通夜に参列してきました。Aさん自身も今月に入ってゼミ合宿や実習指導などで多忙な毎日、ご冥福をお祈りするとともに、彼自身の体調を気にしながら帰路につきました。
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追想

 我が家では京都新聞というローカル紙を購読しています。以前はいくつかの縁があって毎日新聞でしたが、2002年の転居をきっかけに変更したのでした。毎月第一土曜日の夕刊に「追想」という、最近亡くなられた方を偲ぶ紙面があります。9月1日(土)に掲載されていたのが、小田実河合隼雄谷伍平飯田深雪の四氏。写真とともに800字程度の記事が添えられています。普段はなかなか新聞をじっくり読むことはないのですが、土曜日の夕刊と言うこともあって、久しぶりに目を通す余裕がありました。それぞれに著名な方には違いありませんが、とくに河合隼雄さんについては感慨深いものがあります。
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南無釈迦牟尼仏

 同僚の心理学者・高橋裕行氏が逝去されました.5月2日に倒れられ,その後意識不明の状態が続いていましたが,5月19日(土)の早朝に58 歳の生涯を閉じられました.その日の昼過ぎにsampe氏から電話で連絡を頂き,電話とメールであちこちやりとり.21日(月)19時から千里会館にて通夜,22日(火)12時から同所での告別式.私は授業の関係で,通夜のみの参加.学生たちも大勢参加してくれて,みんなでお別れをすることが出来ました.
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