上方落語勉強会特別公演(2014年1月25日)

 京の噺家・桂米二さんが世話役を務める「上方落語勉強会」、普段は京都府立文化芸術会館3F和室がホームグラウンド。今回は特別公演としてホールでの開催、補助席の出る盛況でした。普段は米二さんに直接チケットをお願いするのですが、今回はいささか金額が高いので友の会割引を利用しての購入。おかげさまで、前から2列目通路側という絶好の場所を確保、皆さんの熱演を堪能しました。特別公演故当ブログも特別ポスト、いささか想い出を記します。なお、当日の演目は「時うどん(一人バージョン)」桂吉の丞・「七段目」桂歌之助・「けんげしゃ茶屋」桂文珍・中入り・「定年日和」桂米二・「子は鎹」桂ざこば。歌之助さんは好演、文珍さんの腕の冴えはさすがでした。

 当日プログラムに、米朝一門及び文枝一門の系図が掲載されています。米朝事務所の系図にはより詳細なものが掲載されていますが、ちゃんと物故者の名前が挙げられているのが有り難い。よくお聞きした物故者の方の想い出を少し。

桂米紫
当代は四代目、三代目は1927年6月26日 – 1995年6月15日、享年67歳。漫才・腹話術から1958年に米朝に入門、高校時代に角座で何度か聴いています。鬼瓦みたいな顔をして、どこで笑たらええねんという語り口(!)。当時の私には他の演者よりも古風な上方言葉を使われる方という印象がありました(正確かどうかは分かりません)。後年は上方落語協会の事務局を担当されていましたが、今となっては生で聴けたことが貴重な体験ですね。
桂歌之助
当代は三代目、その師匠である二代目は1967年に米朝に入門、当時は扇朝(せんちょう)と名乗っていました。個人的には大学入学後は落語を聴く機会がグッと減ったため、どうしても高校時代の角座での印象が濃いのです。当時の扇朝さん、印象としてちょっと理屈っぽい雰囲気があったのは建築科志望だったためか。落語会のたびにトラブルが起こる「恐怖の大王」であったため、1975年1月に歌之助を襲名。弟弟子に千朝師がおられますが、こちらは1974年1月の入門、ということは、一時期「せんちょう」という名が二つ併存していたのでしょうか? 今も人気の京都の鰻屋で開催される「かねよ寄席」の世話人で、今は米二さんと三代目歌之助さんが交互に出演されています。
桂音也
もともと朝日放送のアナウンサー、落語好きが高じて枝雀に弟子入り、フリーアナウンサーとしては「今井音也」、落語家としては「桂音也」。生で聴いたことはありませんが、ラジオでよく聴いていました。けっこう新作をよくかけておられたという印象がありますが、落語の中で突然アナウンサー口調でニュース原稿を読むような演出が入るのが人気でした。
桂吉朝
同い年であります。2005年10月27日「米朝・吉朝の会」(国立文楽劇場)、私もあの場に居合わせました。番組にない雀松さん(当時)が登場した時には、場内に「やはり吉朝は無理か」とどよめきが起こりましたが、その後の「弱法師」は圧巻でした。ただ、当時の私は彼の病状について詳細には知らなかったので、この体調でこれだけの話が出来る、回復したらやはり「米團治」や、などと一人喜んでいたものでした(旧ブログ記事)。あの時の音源は購入して手元にありますが、未だに聴くことはできません。

 かくいう私も今年は還暦、先月・今月と二度も体調を崩すようではこの先ちと心細いのも事実。もう一度、自分の身体に正直な生活となるよう肝に銘じます。

投稿者: myon

このブログの管理人は,京都の下町に住み,大阪の女子大に勤務するお気楽オジサンです.通勤車内の読書記録・上方落語鑑賞メモ・料理食べたり作ったり・同居猫ココの日常などを主なコンテンツとしています.