喪中につき・・・

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 昨日、無事母の百箇日法要を勤めることが出来ました。会場は自坊の本堂、同じ場所での通夜・葬儀は酷暑、満中陰も蚊取り線香と扇風機を使用していましたが、昨日は気温以上に寒さを感じストーブを用意。檀家の方も大勢お集まり下さり、法要後には母が好きだったという「浄土の母」(「岸壁の母」の替え歌)を皆で合唱するというおまけ付き。久しぶりに顔を合わせた兄姉たちと、会食の後は一周忌の相談、確実に時は流れていきます。
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お疲れ様でした

[flickr id=”9510228519″ thumbnail=”thumbnail” overlay=”true” size=”original” group=”” align=”left”]  2013年8月8日、私の母・寺口愛子が旅立ちました。人生の前半は5人の子の母として、後半は坊守・住職として、晩年は癌と闘う患者として、波乱に満ちたその生涯を前向きに駆け抜けました。自分のやりたいことをやり抜くというその姿勢は、時として周囲との軋轢も生みましたが、時代と境遇の制限を言い訳とすることなく、いつも凛としたものでした。1922(大正11)年に生まれて平成の世まで91年3ヶ月、子として母の長命を望むのは当然ですが、他方十分であったとも思います。お母さん、本当にお疲れ様でした。
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ダブル七回忌

[flickr id=”6863900082″ thumbnail=”thumbnail” overlay=”true” size=”medium” group=”” align=”left”] 2005年の七夕に義母が亡くなり、翌年の春には義兄の伴侶が旅立たれました。その合同の七回忌の法要で久しぶりに福岡へ、春休みの家族連れが多くて指定席はとれなかったのですが、運良く自由席に座ることができました。7分遅れで博多駅に到着、地下鉄に乗り換えて「藤崎」、寺に着いたときには20分近く遅刻でした。その後天神近くの料亭に場所を移して食事、福岡・大牟田・京都からそれぞれ集まった12名、外は真冬のような寒さでしたが、しばし暖かな時間を過ごすことが出来ました。博多駅へ移動して土産購入、予定通り夕方の京都駅で弁当を求めて帰宅。風呂の順番を待つ間に寝てしまい、早朝から起き出してブログ書いたりしています。
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寒くてpitapaな一日

 昨日ものんびりとした出勤でしたが、途中阪急淡路駅で千里線に乗り換えた途端、副手のOさんから携帯に連絡。同僚・Aさんの御尊父が亡くなられたとのこと。つい二日前に病院に付き添うという連絡を頂いたばかりでしたが・・・。80歳を越えての脳卒中、この寒さが影響したのかも知れません。残念なことではありますが、仕事を早めに切り上げて通夜に参列してきました。Aさん自身も今月に入ってゼミ合宿や実習指導などで多忙な毎日、ご冥福をお祈りするとともに、彼自身の体調を気にしながら帰路につきました。
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義母の三回忌

博多山笠 蒸し暑い一日でした。前夜は三週連続でO君と飲みながらの懇談、sampe氏、harimayaさん、それに卒論中間発表を終えた学生2名も一緒に阿吽坊へ。いい気分で帰宅してそのまま熟睡、気がつけば午前6時30分。今日は義母の三周忌の法事で福岡へ、予約した新幹線は京都駅発07時15分、「化粧と歯磨きは新幹線!」と叫びながら家を飛び出し何とかセーフ。乗り換えの新大阪駅で弁当を買っての朝食、11時からの法要は滞りなく終了し、親戚10名の食事は丁度一年ぶり。博多の夏は何と言っても博多祇園山笠、駅前の飾り山に心を惹かれつつ、無事帰宅しました。ちなみに、今日は小暑だそうです。
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南無釈迦牟尼仏

 同僚の心理学者・高橋裕行氏が逝去されました.5月2日に倒れられ,その後意識不明の状態が続いていましたが,5月19日(土)の早朝に58 歳の生涯を閉じられました.その日の昼過ぎにsampe氏から電話で連絡を頂き,電話とメールであちこちやりとり.21日(月)19時から千里会館にて通夜,22日(火)12時から同所での告別式.私は授業の関係で,通夜のみの参加.学生たちも大勢参加してくれて,みんなでお別れをすることが出来ました.
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